TOKYO LOCAL 2 シンポジウム・テーマ「地域とアート《

♠2009.06.28 sun.  15:00-17:00 Gallery 香染美術

議事録
TOKYO LOCAL 2 シンポジウム・テーマ「地域とアート《
Gallery 香染美術
2009.06.28 sun.  15:00-17:00

挨拶:仲村信二
司会:小倉正史
ゲスト:稲本竜太郎
アーティスト:伊丹裕、坂口恭平、菅井育子、ヤン・シャオミン、駒形克哉、建畠朔弥
記録:栗山直久

仲村信二(以下、仲村)>開催挨拶

小倉正史(以下、小倉)>当シンポジウムで議論を始める前に、アートについて問題提起、議論のキッカケを提示します。 アートは、人が生きていく中で、考えることや活動することから生まれてきます。 まず二つの話題の切り口を提示します。
1、場と人との関わりについて。
それは場とアートの問題でもある。   もし場がなければ、人の具体的な行為は無いだろう。 場とは、人間の行為や活動の条件であるといえるだろう。 また場とは、空間的な場所のことを指すだけでなく、時間、記憶の中、集団に関する、習慣のための、歴史的な、伝統のため、などなどのものであり、そして概念的なものである。 この場とは、良いとか悪いとかといった判断が下されるものでもないだろう。 そして、場が人々を束縛するという表現もあり、また、ある場でしか通用しない考え方や生き方があると考えることもできるだろう。
  この展覧会では、伊丹裕さん(以下、伊丹)が「磁場《という具体的な現象を作品に取り入れて表現している。 また菅井育子さん(以下、菅井)の作品は、心の中の場の問題を扱っている。 また、建畠朔弥さん(以下、建畠)は先のアーティストトークで、人を排斥する場についての関心を語り、それは他者がとけ込めない場ということへ考えが広がるテーマでもあるだろう。
2、次にアートとは何か?という問題があるでしょう。
  19世紀に近代的なアートが高まってきた頃から、「アートのためのアート《という概念が大きく人々のあいだで取り沙汰されるようになり、それはやがてアートを取り巻く人々の概念と態度と環境が「芸術中心主義《的なものへと移行していくことになりました。 しかし、これは芸術が人間の生活や場から切り離されていくことでもあったのです。
  20世紀に入ると、芸術中心主義的なアートの限界が認識されるようになりました。 そして、1990年代前半には、芸術の問題意識は、人々の日常的な営みという場の中へと関心が移行していきました。
  以上、二つの切り口を提示します。
  そしてこのシンポジウムでは、哲学と美学を研究されている稲本竜太郎さん(以下、稲本)をオブザーバーとして迎え、これから議論を展開して行きたいと思います。

  座席の順に伊丹さんから、発言をお願いします。

伊丹>今回の展覧会のテーマ「場《について、今まで活動してきたテーマ「磁場《により考えています。
  「場《ということを科学的なモノの見方によってとらえるということです。
  磁場は電気的現象で、磁場に影響を受けるのは鉄だけでなく、様々な物質が影響を受けることが解ってきています。 その理由は、物質が原子と電子によりできており、原子と電子が帯びている電荷が磁場の影響を受けるからです。
  そのような磁場が持つ力を、「重力《におきかえ、さらに重力があるなら「反重力《へと発展した科学の分野があり、そのような科学的概念を作品に取り入れるとともに、さらに実際の日常生活の場を「磁場《によりとらえ直すこともしてきました。
  それは見えないエネルギーを作品化することで見えるようにすることであり、そうすることで、今はまだ私たちが意識していない、つまり未だ見えない考えかたがそこから表れ出てくることを期待しているとうことです。

坂口>今回展示したこの大きなドローイング作品の説明を求められても、自分でもよくわからないので、私のこれまでの活動についてお話しします。
  建築科の大学を出てそのまま建築家になる予定でしたが、大学で学んでいる間に現代に作られた都市や建築は人間にとって住みにくい場所ではないかと思うようになり、やがて人間が住む場所でない建築を作るよりも、実際にその人なりに場所をつくって住んでいる人たち、つまり路上生活者に興味をもって彼らの生活を調べはじめました。
  路上生活者の住まい方を調べてみると、適当な生活だろうという予想に反して、実は彼らの住宅には緻密なスケール感があったのです。
  例えば、畳の寸法や布団の寸法は大体決まっていますが、ある人にいわせるとそれでは小さすぎて、あと40センチぐらい大きくないと暮らし難いといい、そういう細かいスケールにこだわりをもって暮らしている人たちがいることで興味を持つようになりました。 それは、彼らがローカルさ、つまり自分一人というごく小さいローカル感を持っているという発見でもありました。
  次に興味をもったことは、人工物を自然物のように、とらえ直している人がいるということでした。
  例えば、都市の中の狭い路地に椊木鉢をたくさん並べて園芸している人はたくさんいますが、ある人は本物の椊木鉢に本物の土をいれているのになぜかそこに椊わっている椊物は全て造花なのです。 だが、その人にとってはそれは椊木であり、小さな庭なのです。
  また最近面白いことは、ある人は子供のころからピアノが欲しかったが買えなかったが、大人になってそれを自分で作った人の話です。 その手作りのピアノは、鍵盤がありピアノ線が本物と同じように張ってあり音もちゃんと出ますが、そのピアノのサイズは5分の1なのです。
  人は何かが欲しくなると、それを買いたいと思うのが普通ですが、彼の場合はそれを自分で作ろうと思うのです、しかもサイズを小さくして。
  彼の作ったものには、他にギターのボディーの中に作られたミニチュアの家とか、5分の1サイズのランボルギーニ、人工の瀧がある小さな神社などがあります。
  こうして様々な人たちを発見してくると、この世の中ににアーティストは必要ないと思うようになりました。 つまり、彼らこそがアーティストであるということです。
  彼らは、日常の中で何かを造形しており、私はそれを世の中に伝えるための媒介の役目だと考えています。

小倉>ここまで、話を聞いたなかで、間島さんなにかありませんか。

間島直子氏(以下、間島。聴衆の一人。artist)>今の坂口さんの話を聞いていると、箱庭療法のことを思い出しました。
  また、芸術であるものと、芸術でないものとの区別について、よく問題になりますが、それらはどちらも人間の表現であるんです。 そして表現に人間が出会ったしまうということだとおもいました。

小倉>文化面から今でた話題について話すと、それはポストモダンの問題です。
  モダン(近代)までは、欧米中心のアート・ヒストリーが全てでしたが、90年頃からそれに対して欧米以外のアートをとらえていくことが主要な問題になってきました。それは、欧米的な論理に対する疑問が一斉に生じたことがあり、それとそれ以外の歴史観のギャップが認識されるようになたことがその背景になっていました。
  そのような問題意識が高まった結果、芸術のための芸術ではなく、人の営みつまり日常性に注目し日常性を取り入れたアートが注目されるようになったといえます。

稲本>モダン・アートとは、売り物を作るとうことであったと思います。
  そこでの作品の価値は、モダン・アートの制度が決めています。 つまり、作品が評価され歴史的価値があるかどうかということは、売れた作品であるかどうか、誰かが購入した作品であるかどうかが重要になったということです。
  なので、作品の材料単価が高いものを使うべきだという考え方もうまれ、ダイヤモンドや金を使ったものがよいという考え方も生まれてきたのだといえます。
  そういう問題意識があるので,私は菅井さんの作品に注目しています。

菅井>《自作の説明は先のアーティストトークと同じなので省略。
  それは、過去に見た夢は、深海にいる小さな魚がいる夢で、その魚は自分の心の深いところにいる存在であると認めることで、自分自身が安心感を持つことができるようになった、という説明。》
  自分の日常生活のなかで作品を考えて作っていますから、作品は日常ということに含まれるいろいろな場の問題の限界の中で製作しています。
  そして、私に属しているものとは別に、自分と世界の間に意味があるのか?という疑問を持つようになりました。
  そして、夢は自分の心の中を見るものであり、それを作品化することでこんどは作品の説明になることで、自分と作品との関係について思いを馳せるということになります。
  今回の作品をつくっていて考えたことは、「天地創造《と「人生の疑問《という関係がひらめき、それを私は「生命の誕生《と「自分自身の考え《という関係に重ね合わせています。

門倉未来(聴衆の一人、Gデザイナー)>菅井さんの最後の作品には魚がいないのですが、なぜですか?

菅井>見えないからといって、実はいなくなったわけではないということで、「希望《を表すことを考えていました。

小倉>ヤンは、中国から日本に来られたということで、具体的に活動の場が中国から日本に変ったという経験をお持ちです。
  その変化によって、新たな自分を見つけていくということがあったのでしょうか?

ヤン・シャオミン(以下、ヤン)>そういうことが合ったかもしれないですが、普段から直感的にモノを描いているので、よく分りません.

仲村>補足すると、ヤンさんは「若者《というテーマを20年前に来日したころから描いていました。
  私は、それを現代世界がどんどんグローバル化していき、似たような都市が世界中に作られ、そして似たような若者たちが生まれてきていることに対して問題意識があり、しかしだからといってそこに生きる若者一人一人のエネルギーを持っていることを作品にしてきていると、思っています。

ヤン>作品の意味については言葉で説明することは難しい。
  作品をつくる時に、材料の問題は考えていました。 つまり朝鮮半島を中心にこの地域をみると、中国も日本もほとんど同じだということです。 そこで私は、この地域の材料をつかうことにこだわりながら、この地域を越えていきたいと考えてきました。

間島>私は特に駒形克哉さん(以下、駒形)の作品に興味を持っています。 また、建畠さんのことは古くからよく知っています。 彼らは嫌がるかもしれないですが、二人はそれぞれ生家の環境の影響を受けていて、それがここに展示されている作品に現れていると思います。
  また、菅井さんの話を聞いて、あなたはその夢を見たとき妊娠していましたか?と思いました。
  というのは、理由は上手く説明できませんが、女性は妊娠中に海や水中の夢をみることが多いと聞いているからです。

長沼宏昌(以下、長沼。聴衆、写真家)>坂口さんの話を聞いていて思ったことは、ホームレスの人たちは一旦社会から切り離されているのに、しかしまた都市環境と共生してくらしているという、矛盾があることが面白いと思いました。

遅れて到着した駒形氏。

駒形>アートは何の役に立たないものだと思います。 しかし上幸せな気持ちをやわらげてくれるものだと思っています。 だから、やめられない。
  これまで禁煙と同じで何度もやめましたが、しかしまたついやってしまいます。 芸術をやっていると展覧会をしたりすることでいろいろな人と出会うことができるので、社会との接点が増えます。
  思い出すのは、フランスのスタンダールの「美は、幸せの約束である。《という言葉です。
  「幸せ《は何かというと「共同体との一体感《だと思います。 だから「美は共同体との一体感の約束である《といえると思います。
  今回の展示は、場がテーマなので、作品と同じ金を背景の壁にも使い、作品と背景がわかり難くすることにしました。
  なぜかというと、金は色が強いので普通の画廊の壁に展示にすると作品の外形が強調されすぎると思っていましたから、背景も同じ金にすることで作品の外形が目立ち過ぎることを抑え、より作品の中のことに注目してもらえるようになると思ったからです。
  《以下の作品の説明は全開アーティストトークと同じなので省略。
  それは、作品のテーマ「ミダス王《の逸話を表しており、それは自分自身のお金の苦労のアナロジーになっている、など。》

遅れて到着した建畠氏。

建畠>作品の説明は先週したので、なにか質問してもらえれば答えます。

門倉>彫刻も絵も「地面《がキレイでスッキリしているのはなぜですか?

建畠>それは私も気になる時があるのですが、なぜそうなのか答えようがありません。

小倉>ドローイングは最近作品にするようになったのですか?

建畠>あれはドローイングではなくて、絵です。特に彫刻を作るために描いたものではありません。
  絵画と彫刻がそれぞれ独立した作品になっていることですが、それが矛盾していると思う人もいるかもしれません。 しかし、私はとくにこだわらない。

稲本>彫刻には、棒を持った手のようなものが付いているのですが、あれはどういう意味があるのですか?

建畠>特別な意味はありませんが、作品は音叉の振動を共鳴増幅するものでもあり、あの垂直な棒はその音叉の振動で微妙に震えるのです。
  《注、作品は棒を握った左手のようなものがあり、握った拳に上下垂直に貫通した穴上がり、そこに金属の細い棒が差込んである。》
  今年の春の個展では、高さ2mぐらいのもっと大きな彫刻をつくり、そこにも手のようなものがついていたのですが、それは棒を持っておらず、穴があいているだけでした。

小倉>本日のシンポジウムを欠席したフィリップ・ラルーについてご説明します。
  彼と最初に出会ったのは、1993年に京都にアーティスト・イン・レジデンスに来ていた時でした。 当時は、平面作品を中心に作っていました。そして、京都で翌年阪神大震災を体験し、当時の彼は大変驚いたと話していました。
  現在は、横浜日仏学院の院長を勤めています。
  また昨年、彼は釜山ビエンナーレに参加しました。
  私は、このTOKYO LOCAL2展にその出品作品(タイの路上生活者で、唖の女性が歌をうたう様子を撮影したビデオ作品)を展示してもらうことを考えていましたが、今回の展覧会のテーマが「場《であることから、「私はここで何をしているのか?《というビデオ作品を出品してもらうことになりました。
  この作品は、彼自身が出演し「私はここで何をしているのか?《という文言を繰り返し唱え続けます。
  最初は画面は暗く彼の姿はよく見えず、また声も小さいものです。 しかし徐々に、照明が明るくなるとともに彼に姿もハッキリ見えるようになり、彼の声も大きくなるという、構成になっています。
  私は、この作品は、ブルース•ナウマンの60年代の映像作品で「Non、Non、Non、、、《とNonを繰り返しとなえる作品を参照しているのではないかと思っています。


  これで、一通りのアーティストたちが話し終わりましたので、なにか皆さんからお話はありますか。

伊丹さんはいかがですか。

伊丹>先ほどの話の続きですが、地球の磁場について調べていくうちに、地球の磁場は北極と南極の地軸が重要だということがわかってきて、そして過去に何度が地軸が逆転したことがあることがわかりました。 そして、地球上の磁場の強い場所、地球のツボのような場所を刺激することで、地球環境が回復しよくするために、特殊な金属をそのツボの場所に埋めるプロジェクトを進めていました。

坂口>その地球のツボは、どうやって見つけるのですか?

伊丹>それは、調べていくと、そういう特殊な場所があることがわかり、そしてそれらの場所が地球上に線になって並んでいることがわかっています。 そのような場所が地球の環境に影響を与えていることも、徐々にわかってきているようです。

小倉>今日は、先週のアーティストトークでも駒形さんにギリシャ神話をラテン語朗読していただいのですが、今日もそれを駒形さんがやってくださいます。

駒形>《先週の朗読と同じ説明、オウィディプス神話の妖精エコーが登場する件、最初に日本語で、その後でラテン語で朗読》

仲村>駒形さんどうもありがとうございました。そろそろ予定の時間になりましたので、この会をここで終りにしたいと思います。皆様どうもありがとうございました。

《終了、16:55》

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